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(45)明けよらへん夜の闇んなかで、うち迷ててや


  御心ざしの近まさりするなるべし、常は厭(いと)はしき夜の長さも、とく明けぬる心地すれば、人に知られじと思すも心あわたたしうて、こまかに語らひおきて出でたまひぬ。

古典セレクション「源氏物語」(小学館、校注・訳 阿部秋生、秋山虔、今井源衛、鈴木日出男)から一部転載。

 

古典に親しむ いしいしんじ訳 源氏物語

 「明石ちゃん」家までいってみたら、みっしり木立に囲まれたええ感じの土地に、立派に建ったはるお館やねん。光君のいたはる海辺の家は、派手で洒落(しゃれ)てんねんけど、こっちのほうは、ひっそり落ちついた感じなん。

 「こういうとこで、死ぬほどもの思いに沈んでみんのも、けっこうシブいやんなあ」

 そばの三昧堂(さんまいどう)の鐘の音が、松風に混じり合(お)うて、じーん、て切ないん。岩間の松の根にまで趣があって、前庭の植え込みでは、虫さんらが、いっしょけんめい歌(うと)たはってね。

 光君、あっち、こっち、じいっと見つめはって。敷地んなかでも、明石ちゃんを住まわせたはる辺りは、いっそう丁寧に設えたあんねんけど、月の光のさしこむ真木の戸口が、すうっと向こうへ押し開けたあるんやんか。

 遠慮しいしい、そおっと甘い声。そやけど明石ちゃんのほうは、ぜえったい顔ださへんてこころに決めたはるし、ああ、かなん、あっちいって、って閉じこもったはる。

 「えっらいお高(たこ)うとまらはって。相当セレブな娘(こ)ぉでも、僕が、こんな感じで言い寄ったら、クラッてきはんで、ふつう。あ、もしかして、僕がこんな、落ちぶれたさかい…」とか、くどくど思たはる。「無理強いすんのも、かっこ悪いやんな。女の子との根くらべに負けるとか、マジみっともないし」

 こんな風にぐちぐち悩んでる様子、ものわきまえた大人が見はったら、ほんま、どないいわはるか。そばの几帳(きちょう)の紐(ひも)に、箏(そう)の琴が触って音がたってね、で、雰囲気ちょっと和んで、そうかあ、いままで楽器弾いて気ぃ紛らわしたはったんや、て光君、興が湧いてひと言「返事ない上、お琴もだんまり」て。

 光君「むつごとを 語りあはせむ 人もがな うき世の夢も なかばさむやと(イチャイチャできる相手がいてたらなあ、しんどいこの世の夢も、ちょっとは覚めるやろし)」

 明石ちゃん「明けぬ夜に やがてまどへる 心には いづれを夢と わきて語らむ(明けよらへん夜の闇んなかで、うち迷ててや、まわりのどれが夢か、よう分からへんの)」

古典に親しむ いしいしんじ訳 源氏物語
撮影・吉田清貴

 闇のむこうの雰囲気、あの、六条の御息所に似たはるかも。でもな、こころの準備なんもしいひんとくつろいだはったそこへ、いきなりの展開やん。明石ちゃんとしたら、もう、どないしたらええのんか。光君、隣の部屋へすすっと移動。どんな戸締まりしたはんのか、向こうの木戸はびくとも動かへんし、その場でしばらく、黙って待ったはって。

 けど、けどやで、やっぱし、ずうっとそないなわけにもいかへんやんか。なあ。

 間近で見る明石ちゃんは、こっちが照れてまうくらい、シュッとして、ほんま品がようてね。半分無理強いみたいに、こんな仲になったのに、なんや、深いところで、愛(いと)おして愛おしいてたまらへんの。逢(お)うたら逢うたでいっそうこころも寄り添うし。

 いつもは退屈すぎる秋の夜長も、あっという間に明けてまう心地で。誰かにみつかったらあかんし、て、気ぃはせきながら、細やかに、やさしいことばかけて去(い)なはんのん。

 後朝(きぬぎぬ)の恋文、こっそりではあるけど、早々に届けはってね、このへん、非道(ひど)い、ていうか、光君らしいていうか。明石ちゃん家のほうでも、恋仲がぜったい世間バレしいひんように気ぃ使わはって、恋文届けてくれた使者にぜーんぜんおもてなしできひんのんが、入道としたら、くやしいてたまらへんねん。

 で、こないなってからは、光君、お忍びでぽつぽつ通て来はるん。明石ちゃん家まで、わりと距離あるしね、ひょっとしたら、そこらにゴシップ好きの海人(あま)ちゃんらがうろついてるかもしれへんし、いうて、ちょっと間ぁがあいたりすると、明石ちゃん、ほーら、やっぱり、て、むくれはって。入道としても、どやろなあ、て心配して、極楽往生の祈願も忘れて、ひたすら待ち惚(ぼう)け。かわいそうに、お坊さんの気持ち、こんなにかき乱さはって!

古典に親しむ いしいしんじ訳 源氏物語

いしい・しんじ

いしいしんじさん
 1966年大阪市生まれ。京都大卒。主な作品に「麦ふみクーツェ」(第18回坪田譲治文学賞)、「ある一日」(第29回織田作之助賞)など。2009年から京都市在住。

【2018年02月19日付京都新聞朝刊掲載】