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(31)東海道線旧線(長浜市・米原市・岐阜県関ケ原町)

明治の鉄道事情しのぶ
北東に一直線に延びる線路跡の馬車道。街灯には「中山町馬車道通り」の表記もある(長浜市中山町)
北東に一直線に延びる線路跡の馬車道。街灯には「中山町馬車道通り」の表記もある(長浜市中山町)

 明治の初頭、滋賀県の伊吹山のふもとに長浜駅(長浜市)から関ケ原(岐阜県関ケ原町)を通って東へ向かう線路があった。その後、長浜を通らず米原経由で名古屋方面から京都、大阪へと短絡する別路線ができたため、6年で旅客営業を終えた。道路へと姿を変えた線路跡を訪ね明治期の鉄道事情に思いをはせた。

長浜と関ケ原を結ぶ線路の開通を伝える1883年5月4日付の京都滋賀新報
長浜と関ケ原を結ぶ線路の開通を伝える1883年5月4日付の京都滋賀新報

 線路は長浜駅から関ケ原駅までの23キロ。1883(明治16)年に開通し、89(同22)年に休止した。廃線跡のほぼ全区間が道路に転用されていると知り、長浜駅で自転車を借りた。

かつて関ケ原へと向かう路線の延びていた長浜駅(長浜市北船町)
かつて関ケ原へと向かう路線の延びていた長浜駅(長浜市北船町)

 観光客でにぎわう長浜駅東口を後に、北に向かう。「外堀くすのき通り」と呼ばれる通りから東に入ると北東へ延びる一直線の道に出た。この道が線路跡で、レール撤去後に馬車が走ったことから、地元では「馬車道」と呼ばれているという。近くには「中山町馬車道通り」の街灯も。

 南北に走る十里街道との交差点に「柏屋老舗」という菓子店があった。店の北倉喜代子さん(83)によると、かつてはこの菓子店の場所が馬車乗り場だった。以前は「馬車道ロール」というケーキも発売していたという。

 馬車道通りは長浜署の前で県道37号と合流する。そしてさらに北東へ向かう。伊吹山がどんどん近づいて来る。国道8号を越えて進むと、北陸自動車道と交差する。明治の線路跡の上を現代の自動車が行き交う光景だ。

 駅を出て40分。沿道から工場やコンビニが減り、田畑が増えてきた。西上坂町に入った。この付近に85(同18)年の9カ月間のみ上阪駅が置かれた。次第に高さ200メートルほどの山並みが近づいて来る。線路跡の道路はその山の北端を回り込むように進む。

長浜と米原の市境のトンネル跡。石積みが残り鉄道が通っていた当時をしのぶことができる(米原市村居田)
長浜と米原の市境のトンネル跡。石積みが残り鉄道が通っていた当時をしのぶことができる(米原市村居田)

 なだらかな坂を登ると長浜市と米原市の境に着いた。明治時代には長さ50メートルほどのトンネルがあったが、現在は切り通しとなっている。高さ1メートルほどの石積みが残されており、かつてをしのぶことができる。

 米原市域に入ると、正面に見えていた伊吹山が左手に見えるようになり、大きく回り込んだことが分かる。薬局やホームセンター、スーパーなどが見えてきた。上阪の隣駅、春照(すいじょう)駅の跡地は近い。

 1872(明治5)年10月14日、新橋―横浜間に日本初の鉄道が開通した。その10年後の82(同15)年、長浜―関ケ原間が着工。翌年5月に完成した。

 遠回りでも、長いトンネルは避ける―。そんな技術者の思いがにじむような線形となった。技術だけでなく、工期や予算の都合もあったのだろう。

 89(同22)年には湖東地域にも鉄道が開通。名古屋から京都、大阪への列車は米原を通る新線を経由すると決まり、長浜―関ケ原を結ぶ旧線は休止となった。その後、貨物線として鉄道が走ったこともあったが99(同32)年廃止された。

 線路跡の道は春照の集落に差し掛かる。春照は北国脇往還(ほっこくわきおうかん)の宿場町として江戸時代から栄えた。江戸の宿場町の雰囲気は残るが、明治の駅の痕跡は見当たらない。線路跡の道路は関ケ原駅へとカーブと勾配を増してゆく。

関ケ原駅へとカーブと勾配を増してゆく線路跡(米原市大野木)
関ケ原駅へとカーブと勾配を増してゆく線路跡(米原市大野木)

東海道線旧線

東海道線旧線

 「発掘!明治初頭の列車時刻」によると当時は長浜―春照を32分、春照―関ケ原は38分を要していた。滋賀県内の廃線跡は国道365号、県道37号として利用されている。長浜駅から春照までは湖国バスも走るが本数は少ない。長浜、醒ケ井、坂田などの駅で自転車を借りることができる。

【2018年10月12日掲載】